権力の亡者、毛沢東

 毛沢東劉少奇林彪周恩来という名前は中学、高校時代から新聞やテレビでその名前を聞いて知っていた。高校時代は本屋に毛沢東語録が置いてあった。テレビでは小さな子供が赤い毛語録の本を持って踊っている姿が時々放映されていた。毛沢東は、現在、北朝鮮で金正日が神のように崇められているのと全く同じ存在であった。現在でも中国の政治感覚は北朝鮮と同じである。なぜなら中国は北朝鮮が権力を金正日の三男の正雲に継承するのを直ぐに認めたではないか。封建時代なら権力者が子々孫々に権力を継承するのは当然であるが、現在は21世紀である。

 16日に中国の四川省成都など3都市で数千人規模の反日デモがあった。これはニュース情報を総合的に判断すると、民間団体「頑張れ日本!全国行動委員会」(田母神俊雄会長)などが16日、東京都港区で中国政府に抗議するデモ行進を予定したことに対する反発らしい。成都市のイトーヨーカ堂と伊勢丹の前には千人以上の若者らが集結し、「釣魚島(尖閣諸島)を返せ」などと叫び、石やペットボトルを投げたという。今回のデモを主導した若者達について朝日新聞は、「江沢民前国家主席が主導した愛国教育の徹底で反日感情を植え付けられ、目覚ましい経済成長の恩恵も享受している若い世代」と述べ、「『沖縄を回収、解放せよ』といった過激な横断幕を掲げる若者達」と紹介している。

 中国がここまで徹底した反日教育を行っていたことと中国の根底に尖閣諸島だけでなく、沖縄も中国領であるという意識を持っていることに留意する必要がある。江沢民は徹底して反日教育を行ったが、中国が1979年にベトナムに侵攻した中越戦争については、「ベトナムを訪問したときに謝罪するどころかベトナムの首脳に「もう過去のことは忘れよう」と言って正当化し、中越戦争のことを教科書から削除するよう求めた」(ウィキペディア−中越戦争)という。そもそも中国はあの大量虐殺を行ったカンボジアのポル・ポトのクメール・ルージュを支援していたのである。ポル・ポト政権の裁判はまだ続いているが、それを支援していた中国も裁くべきである。

 こうして中国の過去と現状を見てくると非常に勝手な国であることが分かる。日本に対しては、中国侵略を反省しろと言いながらベトナムに対しては、自分達が侵略したことを忘れようとか、教科書から削除しろと言う図々しさ。常識が全く通用しない国である。中国の考え方として、中国が経済力を蓄えるまでは領土問題を棚上げし、経済力が付いたら軍備を整えて領土問題を顕在化させるという戦略がある。その顕在化が現在である。これに対して、今までと同様に日本が対処していたら確実に尖閣諸島は中国に乗っ取られるだろう。中国は九州、沖縄、台湾ラインの第一列島線を越えて、伊豆諸島、小笠原諸島の第二列島線まで制海権を握ることを目標に着々と空母も建造しようとしている。

 中国共産党中央文献研究室に勤め、周恩来生涯研究小組組長を務めた高文謙の書いた「周恩来秘録 党機密文書は語る」文春文庫を読んだ。話が細かすぎて概略しか頭に残っていないが、毛沢東の出鱈目さが良く分かった。周恩来秘録と言いながら内容は、毛沢東の話である。毛沢東の出鱈目さは、即ち、中国と言う国の出鱈目さである。それが良く分かる。

 毛沢東は、1921年に中国共産党創立大会に参加し、1949年の中華人民共和国成立と共に国家主席に就任した。毛沢東が推進した1958年の大躍進運動で大失敗し、餓死者を2000万から5000万人出したと言われている。この責任を取って1959年に国家主席の座を劉少奇に譲るが、権力欲が強く、陰湿な権謀術数に長けた毛沢東は劉少奇を失墜させるために1966年に「司令部を砲撃しよう」と発表して文化大革命を起こした。劉少奇は吊るし上げられ、拷問同然の扱いを受け、1969年に病気にもかかわらず治療もされないまま見殺しにされた。文化大革命では数百万から一千万の人間が殺されたと言われている。

 林彪は劉少奇に代わって1969年に毛沢東の後継者に指名された。ところがまたしても権力欲の旺盛な、言い換えると毛沢東は77歳であるから自分自身が前面に立つ気は無いが、だからと言って他人が勝手に権力を振るうのは許しがたい毛沢東は国家主席不要論を言い、段々、林彪を後継者に指名したことを後悔し始める。林彪を失脚、粛清しようとする毛沢東に対して、1971年息子の林立果は毛沢東暗殺計画を立てるが、発覚し、家族でソ連に飛行機で逃亡中にモンゴルに墜落して死亡する。

 常にNo.3の存在であった周恩来は、林彪の死によりNo.2に躍り出ることになり、毛沢東の権力欲に狙われることになる。1972年に周恩来は膀胱がんが発見されるが、毛沢東は医師団に検査・治療は不要と指示し、さらに周恩来を失脚させるために批林批孔運動を起こす

 周恩来の晩年は、毛沢東に忠誠を尽くしながら必死に毛沢東の疑念を晴らそうと自己批判する毎日であった。哀れじゃないですか。あの周恩来がそんな生活を送っていたとは。周恩来は1976年1月8日に77歳で亡くなり、毛沢東は9月9日に82歳で死亡した。毛沢東によって一体どれだけの人間が殺されたのか?日本人の虐殺と比較してはいけないが、被害の大きさは比べ物にならないではないか。日々、反日教育はしても毛沢東のやった悪いことは隠す。これが中国なのである。ニュースでは中国は「反日デモは許すが、政府に対する批判は許さない」と指導していると言う。全く信用できない国である。元々、自分は大人しい方だと思っているが、これ以上挑発が続くようであれば、徴兵制と軍備増強も考えた方が良いかもしれない非武装中立なんて夢物語はありえないだろう。あっても武装中立か。自分は仏教徒なので戦争であっても人を殺すことや人を殺すための訓練をすること自体いけないと基本的には考えているが、我慢にも限度があると言うものである。

 毛沢東にスターリン、金日成に金正日政敵を倒し、粛清し、労働者のためではなく、自分の権力欲のためだけに動くゴキブリ共。なぜ共産主義を掲げる国で共通してこのようなゴキブリ共が出てくるのか。共産主義思想に根本的な欠陥があるような気がする。

(2010年10月19日 記)

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